沖縄は今 40年目も変わらない?
中学校3年生の5月でした。40年前の1972年5月15日、沖縄が日本に返還されました。さすがに中三ですから、沖縄についてある程度勉強していたし、親が政治運動に参加していたこともあって、関心をもって事態の推移を見守っていました。もちろん子供ですから、単純にいいことだと喜んでいた面もあるのですが、すっかり本土と同じ生活になるのだろうと楽観的でした。
しかし、米軍基地はそのまま存続し、ベトナム戦争の出撃基地になったままでしたし、むしろアメリカ統治下のほうが、「アメリカ」の立場でうごけたかもしれません。日本に戻ったことで、かえって本土の人間が沖縄に犠牲を押しつけるのが明確になってしまったような気がします。進学率や就職率が、比較してわかるほど低く、それゆえに、ステータスを上げるのはスポーツ選手になったり、芸能人になるのが近道になったりしてきたのかもしれません。もちろんこんな考え方は僕の勝手な思い込みですが。
新婚旅行で沖縄に行ったとき、うきうきした気分が嘉手納基地を通りかかったときに、すっかり冷めてしまったことをよく覚えています。B52爆撃機のそのあまりの大きさ。大学時代、福岡空港の着陸コース真下に下宿があったので飛行機の騒音には慣れているつもりでしたが、そんなものはたいしたことはありません。まさに軍用機が我が物顔でのさばる場所、それが沖縄です。
基地の移転交渉もまったく進まず、沖縄の人たちの犠牲を少しでも軽くしようとして本土の空港に移転しようとすると、地元の反対が強まります。そうすると、そこの住民のエゴという批判も高まります。
あれ?。去年の大震災や原発の問題と同じですね。根本の問題は原発そのものなのに、例えば「ガレキはみんなで痛みを分け合いましょう、痛みを受け入れないのはエゴですよ。」といって受け入れ反対の人たちを攻撃し、被災地の人たちといがみ合うような雰囲気をつくる。
そうじゃないでしょう。米軍基地は日本全体からいらないのではないですか。原発ももういらないのではないでしょうか。どこかの弱い人々に苦しみを背負わせて知らん顔ではなく、その苦しみの原因をきちんと取り除くことが必要でしょう。
しかし、米軍基地はそのまま存続し、ベトナム戦争の出撃基地になったままでしたし、むしろアメリカ統治下のほうが、「アメリカ」の立場でうごけたかもしれません。日本に戻ったことで、かえって本土の人間が沖縄に犠牲を押しつけるのが明確になってしまったような気がします。進学率や就職率が、比較してわかるほど低く、それゆえに、ステータスを上げるのはスポーツ選手になったり、芸能人になるのが近道になったりしてきたのかもしれません。もちろんこんな考え方は僕の勝手な思い込みですが。
新婚旅行で沖縄に行ったとき、うきうきした気分が嘉手納基地を通りかかったときに、すっかり冷めてしまったことをよく覚えています。B52爆撃機のそのあまりの大きさ。大学時代、福岡空港の着陸コース真下に下宿があったので飛行機の騒音には慣れているつもりでしたが、そんなものはたいしたことはありません。まさに軍用機が我が物顔でのさばる場所、それが沖縄です。
基地の移転交渉もまったく進まず、沖縄の人たちの犠牲を少しでも軽くしようとして本土の空港に移転しようとすると、地元の反対が強まります。そうすると、そこの住民のエゴという批判も高まります。
あれ?。去年の大震災や原発の問題と同じですね。根本の問題は原発そのものなのに、例えば「ガレキはみんなで痛みを分け合いましょう、痛みを受け入れないのはエゴですよ。」といって受け入れ反対の人たちを攻撃し、被災地の人たちといがみ合うような雰囲気をつくる。
そうじゃないでしょう。米軍基地は日本全体からいらないのではないですか。原発ももういらないのではないでしょうか。どこかの弱い人々に苦しみを背負わせて知らん顔ではなく、その苦しみの原因をきちんと取り除くことが必要でしょう。






